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協会の成り立ち

 佐世保とオーストラリアのご縁は1953年の聖和女子学院の創立にさかのぼります。

 1947年(昭和22年)原爆により廃墟した長崎に、オーストラリアから『善きサマリア人修道会』の6名の若きシスターが降り立ちました。 長崎市にて、シスター達は被爆者のための診療所を開いて奉仕に3年間従事され、その後、佐世保にカトリックの精神に基づく学校を作ってほしいとの要請を受けて、県北唯一のカトリック系高等学校の設立の運びとなり、女子教育の推進に尽力されました。

聖和女子学院創立当時

聖和女子学院創立当時

シスターメリークレメント

シスターメリークレメント
日豪協会の創立、さらには姉妹都市提携へ導かれたシスター・メリークレメントは、その功績が称えられ、佐世保名誉市民となられました

 1967年から、学院の2代目校長であったシスター・メリークレメントは、学院や市民のコーラス部を引率して母国であるオーストラリア訪問を始めました。特に東海岸にあるコフスハーバー市でのホームステイや留学を支援され、 その後、学校外でも交流の輪が広がりました。 両市の市民同士のふれ合いを大切にした活動は活発となり、当時、シスター・メリークレメントと親交のあった田中丸善三郎氏が発起人となって、1983年、当佐世保日豪協会を発足するに至りました。

 

 そして両市の友好的な発展への貢献が、1988年、佐世保市とコフスハーバー市との姉妹都市締結へと繋がり、今日に至ってもなお相互理解と友好を深めております。

田中丸 善三郎氏

佐世保日豪協会設立披露パーティにて挨拶をされる初代会長 田中丸善三郎氏

駐日オーストリア大使とご婦人

設立のお祝いに駆けつけてスピーチをされる駐日オーストラリア大使とご夫人

田中丸氏・シスターメリークレメント・シスター景山・駐日オーストラリア大使ご夫妻

田中丸氏・シスターメリークレメント・シスター景山・駐日オーストラリア大使ご夫妻

 

佐世保市とコフスハーバー市が姉妹都市となるまでの経緯

桟熊獅市長

コフスハーバー市と佐世保市の姉妹都市提携調印する桟熊獅市長

姉妹都市提携 宣言書
姉妹都市提携 宣言書

昭和61年8月(1986年)、聖和女子学院コーラス部(シンガーズ)が、木村敬子校長引率の下、コフスハーバーを訪問、演奏会を開いた際、木村校長にコフスハーバー市議会議長が「議会は、貴佐世保市との姉妹都市提携を実現したいと 議決したので、 帰国後、佐世保市長、並びに市議会に、私達の意向を伝えて実現へむけて善処して欲しい。 尚、近日中に佐世保市長へは公式の要請状を送る」との伝書があり、 木村校長は帰国後、桟市長へその報告をしました。 その後、市長より依頼を受け、昭和61年(1988年)9月24日の役員・理事会に於いて「佐世保 日豪協会オーストラリア姉妹市提携問題委員会」を設立しました。

 

シスター・メリー・クレメント(昭和58年(1983年)3月迄、16年間聖和女子学院中学・高等学 枚の校長として当市の女子教育に献身)は、 コーラス部によるオーストラリア訪問演奏会を計画し、自ら生徒を引率し、コフスハーバーにおいてコンサートを開催しました。これを契機として 地元で佐世保市に対する関心が一度に高まりました。そして、長く日豪友好に貢献され、佐世保市名誉市民となられたシスタークレメントより、コフスハーバー市と佐世保市との姉妹都市提携に全面的に協力したいと申し出があり、その推薦を受け、昭和62年(1987年)佐世保市から使節団を派遣、昭和63年(1988年)6月6日姉妹都市締結となりました。
以来、両市は、公式訪問団が相互に行き来し、青少年による語学・音楽・スポーツ交流などを通して、姉妹都市提携に基づく交流事業を充実・継続させています。

バーナード・F・マローフ市長と桟市長
姉妹都市提携調印式
バーナード・F・マローフ市長と桟市長
ニューサウスウェールズ州コフスハーバー市
ニューサウスウェールズ州コフスハーバー市
(絵:1983年コフスハーバーからの留学生作)